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2022年12月11日 (日)

改めてRadu Lupuを偲んで。

Lupu"Schubert: Impromptus" Radu Lupu(Decca)

今年の4月にRadu Lupuがこの世を去ったが,私にシューベルトのピアノ音楽の魅力に気づかせてくれたのは,Radu Lupuその人だったと言ってよい。正直言って,私は極めて偏ったシューベルトの音楽の聴き方をしていて,Lupuのピアノ演奏以外では,Peter Schreierのギター伴奏版「美しき水車小屋の娘」を偏愛するのみというのが実態である。それ以外は「グレイト」があるぐらいで,ほとんどCDも保有していないはずだ。だからお前にシューベルトの何がわかる?と言われれば,返す言葉はないが,それでもLupuの弾くシューベルトには何とも言えない魅力を感じるし,Lupuを聴いていなければ,ほかのピアニスト(と言っても内田光子だけだが...)のシューベルト演奏を聞きに行こうなんて思わなかったはずだ。

Lupuのシューベルトを聞いてから,ほかのピアニストのシューベルトも聞いたことはあったのだが,あまりピンと来なかったというのが実態で,今,手許に残っているのはPolliniぐらいである。しかし,それを聞いてもPolliniはシューベルト弾きじゃないよなぁとしか思っていない。Lupuの持つリリシズムに満ちた演奏こそが,私にとってのシューベルトのピアノ音楽なのだ(きっぱり)。

_20221210 改めて,今回即興曲集を聞いてみて,私はLupuのタッチに魅力を感じているのではないかと思えた。音そのものが私の感覚にフィットするというところなのだろうと思えた。尚,私が保有しているCDのジャケは右のものだが,オリジナルもこっちもどっちもどっちって感じだな(笑)。

いずれにしても,Radu Lupuは素晴らしいシューベルト弾きであったと思わせるに十分。つくづく惜しい人を亡くした。

R.I.P.

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