福盛進也のアルバムは,日本からのECMへの回答のようにさえ思える詩的な作品。
ECMから福盛進也がアルバムをリリースした時はびっくりしたものだ。名前も聞いたことがないミュージシャンがいきなりECMからリーダー作ってどういうことって思ったが,そこに感じられる美学にはなるほどと思ったのが約3年前(記事はこちら)。その後,日本のライブ・シーンでも名前は見掛けていたが,私としては追い掛けていた訳ではない。しかし,ここに来て,ブログのお知り合い方がこのアルバムを取り上げていて,そうなると当然気になった私は即購入である(苦笑)。
このアルバムをリリースしたNagaluは「流」という字が充てられているが,福盛進也が自身で立ち上げたレーベルらしい。Webでの情報によれば,福盛進也がこのレーベルを立ち上げたのは,「ECMではできなかったことをやりたかった」からだそうである。私も主題にそういう感じで書いたが,それは私の第一印象に基づくものであり,あくまでも偶然の産物である。だが,そうしたWeb上の情報に触れるとなるほどと思ってしまうが,レーベルのコンセプトは「日本やアジアのアイデンティティをバックグラウンドにもつ新しい音楽を生み出す」だそうである。
私がこのアルバムを聞いていて思い起こした言葉は「幽玄」であったのだが,静謐な曲においては,能を舞うかのような感覚を覚えたと言ってもよい。だが,強烈に日本的かと言えば,必ずしもそうではないと思うが,ECM的ではあってもちょっと違う(そもそも音が違うが...)というところだろうか。初期のPat Metheny Groupをちょっと想起させる"Flight of a Black Kite"のような曲もあるが,基本は静謐な世界が展開される。陳腐な表現を恐れずに言ってみれば,わび,さびの世界を音で表現したってところか。とにもかくにもここでの美学には筋が通っているのである。福盛進也はManfred Eicherの徹底ぶりに対して,「僕のイメージをマンフレートに理解してもらえないもどかしさがずっとありました」なんて言っているので,Eicherともめた末,Eicherの怒りを買って,一時期全部廃盤化されたRichie Beirachのようにならなきゃいいけどと思ってしまうが,それは余計なお世話か。
いずれにしても,日本のレーベル,日本のミュージシャンが自らこうしたアルバムを生み出したことには素直に驚かされるとともに,この一貫した世界観は実に見事と言うしかないと思う。敢えてモノラル録音にするところにもこだわりが感じられる。リリースされたのは昨年だが,私にとっては,これまでのところ今年の最大の収穫と言ってもよいのではないかと思える作品。この詩的な世界にはまると抜け出せなくなりそうな驚きのアルバムである。星★★★★★。
それにしてもパッケージにも凝っていて,ジャケにエンボス加工を施してあったりするので,これでは単価が上がっても仕方ないと思ってしまうな。
Recorded on August 22-24, 2020
Personnel: 福盛進也(ds),林正樹(p),佐藤浩一(p),藤本一馬(g),Salyu(vo),北村聡(bandneon), 田辺和弘(b),西嶋徹(b),青柳拓次(vo, g),小濱明人(尺八),蒼波花音(as),甲斐正樹(b)
最近のコメント