Radu Lupuは中庸の鑑である。
今日もライブ・レポートである。11月に入って早くも3回目というのは私の日頃の生活パターンから乖離しているが,それは音楽シーズンだってことの証左にすぎない。でも,さすがに今月はもう無理かなぁ。
それはさておき今回はRadu Lupuである。私がクラシックのリサイタルに足を運ぶ機会は決して多いとは言えないが,前回は内田光子のオール・シューベルトだったはずである。そして今回もLupuのオール・シューベルト・プログラムなのだから,シューベルトに強い関心を持ってきたわけではない私だけに,人間変われば変わるものであると思わざるを得ない(その背景にご関心のある方はこちらをご覧下さい)。
今回は東京オペラシティへ私の知り合いとの参戦だったのだが,クラシックのリサイタルの前にしては二人で飲み過ぎてしまったようである。だから,ちゃんと審美眼は維持したつもりで聴いていたものの,前半の即興曲で深い眠りについていたことは告白する必要があるだろう。だが,休憩を挟んで「遺作」はちゃんと聴いたつもりである。即興曲ではあれほど完璧に「落ちた」私であったが,「遺作」ではそうならなかったのには理由があるように思える。
今回,「遺作」を聞いていて私が全く馴染めなかったのが第1楽章である。右手と左手の乖離が感じられて,どうにも居心地が悪かったのである。より端的に言えばリズムのぶれとでも言うべきものを感じたからだと言っても良い。それは2楽章以降,特に3楽章以降改善したのだが,それにしてもって感じであった。その違和感が私を覚醒させていたのは皮肉だが,事後の反応からしても,聴衆にも何らかの違和感を覚えさせていたのではないかと思っている。私の思い込みかもしれないが,盛大な拍手は受けていながら,熱狂には至っていないという感じだったのである。
だからと言って駄演というつもりは毛頭ない。主題に書いた「中庸」という表現は決して悪い意味ではない。むしろ,完全にギミックを排し,アタックの強弱なんて意味ないねと思わせる,安定したタッチで演奏を展開することは決して容易ではないはずだと思わざるをえない。そうした点はさすがLupuと言うべきものだったが,それでも私が「遺作」に覚えた違和感を払拭するところまでは行っていないのが残念であった。また彼の演奏に触れるチャンスがあるかもわからないが,再び来日の機会があれば,それでもまた行ってしまうんだろう。Lupuとはそういう人である。
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