なぜかTennstedtのマーラー5番が聞きたくなった
"Marler: Symphony No. 5" Klaus Tennstedt & London Philharmonic (EMI)
突然のようにこのアルバムが聞きたくなった。Gergievの5番がなかなかリリースされないこともあって,予習のためというわけではないが,マーラーの5番である。
本作は,結構世評も高いものだと思うが,実は私にはこの作品には人一倍思い入れがあるのだ。何を隠そう,私は1988年12月13日,この演奏が収録されたロンドン,ロイヤル・フェスティバル・ホール(RFH)にいたのである。当時,私は担当プロジェクトのカット・オーバーを翌年早々に控え,その立ち上げ準備もあって,ロンドンに5週間ほど出張していたのだが,実際のシステム立ち上げの準備に入る年末までは比較的余裕のある生活を送っていた。
そんな私は時間を見つけてはサウス・バンクにあるRFHやクイーン・エリザベス・ホールにクラシックのコンサートを聞きに行っていたのである。今はどうかわからないが,英国のオケには英国王室がパトロンとなっていて,何と言っても入場料が安かった記憶がある。同じ時期にTennstedtがシューベルトの「グレイト」を振ったことがあるが,その時はオケの後ろの席が確か2.9ポンド(多分800円ぐらいであった),このマーラーだって15ポンドしなかったはずという,はっきり言って夢のような生活であった。
正直言ってしまうと,昔の私は,マーラーがそれほど好きだったわけではないのだが,一気にマーラーに本当の意味で目覚めてしまったのはこの演奏を聞いてからではないかと思う。一言で言えば「燃えてしまった」のである。静と動,緩と急によるダイナミズム溢れる演奏に,私もその魅力をようやく理解し,私の中のマーラーへのシンパシーを覚醒させたというところだったのではないかと思う。こんな感覚は,Abbadoがロンドン響を日本に連れてきたときに,バイトで彼らの楽器搬入をしていた役得で,舞台袖から彼らのマーラー5番を聞いたときでさえなかったものであり,私にはこちらの演奏がよほどフィットしていたのではないかと思える。
この時の聴衆の熱狂ぶりは,演奏終了後の拍手(+ブラボーの絶叫)にも感じられるが,私も同様の興奮と感銘をおぼえていたのは間違いないところである。そんな懐かしさやありがたさのある演奏だから,喜んで星★★★★★を謹呈するが,今度のGergievの演奏は果たしていかに。
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