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2014年10月10日 (金)

懐かしのSantanaのファースト・アルバム(レガシー・エディション)におけるWoodstockライブ音源

Santana_legacy_edition "Santana(Legacy Edition)" Santana (Columbia)

新橋のテナーの聖地「Bar D2」でよくご一緒させて頂くMさんはロック好きな方である。一度,宇田川町のブート屋にご一緒させて頂いた際にはSantanaのブートDVDをお買い上げになられていたような気がする。あるいは既にお持ちだったか?ということで,今日はSantanaである。

思えば,私がSantanaの音楽に触れてから随分な時間が経過したものである。最初に聞いた記憶があるのはラジオで流れていた"Black Magic Woman"だったと思うが,チャート・アクションを気にし出して,自分で聞くようになったのは「哀愁のヨーロッパ」の頃,あるいはアルバム"Festival"の頃ではないかと思う。ラジオは私が小学校の高学年,レコードは中学生の頃だから,それからほぼ40年が経過している。それ以降,つかず離れずの関係は維持しつつ,今となっては"Caravanserai"こそ彼らの最高傑作だったと信じて疑っていない。もちろん,ほかにも好きなアルバムはあるが,どれか一枚と言われれば,躊躇なく"Caravanserai"を挙げるだろう。

いずれにしても,私は過去に遡及していくかたちでSantanaの音楽を聞いていったのが実態だが,何だかんだでSantanaは好きなんだろうと思う。今や,結構な枚数のCDを保有するに至ったわけだが,今日取り上げるのはこのファースト・アルバムだが,アルバム本体よりも,その「レガシー・エディション」に収められたWoodstockのライブの模様について書いてみよう。

今や伝説となったと言ってもよいWoodstockのフェスティバルにおいては,まぁジミヘンの演奏が最も象徴的なものとして記憶されているかもしれないが,この時のSantanaの演奏は,まだまだこれからシーンに出ていこうという勢いを感じさせるものであった。今回取り上げるレガシー・エディションにはその時の演奏が7曲収められている。当日はCD収録の7曲に加えて"Evil Ways"を加えた8曲を演奏したようだが,どうせだったら全曲収めればいいのにと思うのはきっと私だけではないだろう。まぁ,それでも当日の演奏はほとんどここで聞けるから,特に文句はない。

そしてこの音源を聞くと,まさに当時の"Rising Star"としての彼らの位置づけがはっきりしてくるように思える,そんな演奏である。もちろん,ライブゆえの荒々しさもあるが,その荒々しさが原初的なロックの魅力をオーディエンスに感じさせていたのではないかと思える。それにしても,Chepitoだけでなく,Mike Shrieveや後にJourneyの創設メンバーとなるGregg Rolieを擁していたという強力なバンドであったことを再認識。弱点を感じさせるとすれば強力なヴォーカリストに不在のみってところだろう。

ということで,Woodstockの時のライブの模様のビデオを貼り付けておこう。曲は"Soul Sacrifice"と,音源から洩れた"Evil Ways"の2曲。尚,データはWoodstockの時のもの。

Recorded Live at Woodstock Music & Arts Festival on August 16, 1969

Personnel: Carlos Santana(g, vo, perc), Gregg Rolie(vo, key, perc), David Brown(b), Michael Shrieve(ds), Jose "Chepito" Areas (perc, tp), Mike Carabello(perc)



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ロック」カテゴリの記事

コメント

いつだったかこのレガシーエディション、中古屋でみつけて、こんなのがあったのか
上り坂の時代、やはり良いですよね。
70年頃は、上り坂のグループだらけだったから、わくわくしてました。
後追いで聴いていくより、その時代を体験できて良かった。
Woodstockはレット・イット・ビーと二本立てでした。ビートルズの時代は終わったんだなあと、はっきり認識できました。
その時、サンタナ見て思ったのは、何て悪そうなチンピラだなあと。
その後、精神世界がどうのこうのと言い出したとき、思ったのが、あのチンピラが?(失礼)

Tokyoは Let it Be と2本立てでしたか-! 69' Woodstok のメンツ凄かったですね~ 新橋 Barに自作マル秘 DVDでも送ろうかなぁ- !!

mmmさん,こんにちは。

おっしゃる通り,「上り坂」ですよねぇ。私は後追いですが,まぁ,ギリギリ同時代と言えるかもしれません。

それにしても,"Woodstock"と"Let It Be"の2本立てとは濃い~ですねぇ。Carlosの特に不良的な面持ちが印象的ですよねぇ。そんな2本立てを見れたのは大阪では大毎地下か,戎橋劇場かって感じですねぇ。歳がばれますが(笑)。

ジョン・暖簾さん,こんにちは。

マル秘DVDですか。一体どんなものが...?ちょっと期待してお待ちします(笑)。

岡山の中心部のメジャーな映画館です。おそらく地方都市では同じではなかったのでしょうか。
後追いの人にはピンとこないようですが、ビートルズの人気に便乗したからこそ、ウッドストックなんてマニアックな映画が上映できたのだと思います。当時の地方都市では二本立て上映が常識でした。
ゴジラや若大将や007と同等の集客力のある映画であるわけはありません。
豪華なメンツだと感じるのは、後にビッグになったからで、当時は熱心なロックマニアにしか知られてない人ばかり。この映画に出たからジミヘンが知れ渡ったんです。
ラジオかレコードを買うかしかなかった時代です。ジミヘンが広く聴かれていたはずはありません。後追いの錯覚ですね。
モーツァルトだってアマデウスという映画のおかげで、ベートーベンと並ぶ奇跡の大作曲家と一般人に認識されるようになったわけです。

mmmさん,こんにちは。なるほど,岡山ですか。二本立てロードショーって昔はありましたもんねぇ。

ミュージシャンについては,確かにそうかもしれませんね。「後追いの錯覚」ということもあって,「今にして思えば」豪華なメンツ,あるいはジミヘンもそうだったかもしえません。ウッドストックはmmmさんのおっしゃる通りと言ってもいいと思いますが,モーツァルトの件は全く首肯できません。「アマデウス」のような映画がなくても,モーツァルトは既に大作曲家として認知されていて,あぁ,そうだったのねということで,脚光を浴びたのはサリエリに過ぎません。

「アマデウス」がリリースされたのは1984年であって,あの映画ができるまで,一般人がモーツァルトを「奇跡の大作曲家」として認識していないなんてことはありえませんよ。モーツァルトと,モーツァルトを愛した亡き父のためにも,この点は声を大にして反論させて頂きます。

モーツァルトの件ですが
熱烈なファンはともかくとして、ベートーベン、バッハ、ブラームスに並ぶほどの天才としては考えられてなかったのが、1956年生誕200年以降に再評価されたということです。
それまではかわいい小品を作った作曲家と思われていたのが、他の名作にも陽が当たったということです。その後のLPレコードの普及も拍車をかけたのではないかと思います。
しかし60年代には、今のようにベートーベンに並ぶかそれ以上の大作曲家とまでは評価されていなかったのを覚えています。
後追いの錯覚でしょう。
没後200年の1991年にも盛り上がりました。
モーツァルトが偉大なのは、そりゃそうですし、当時から熱烈なファンがいたのは当たり前のことですけど、かなりマニアックな天才の奇行のエピソードや、それにも関わらず天上の音楽を創作した人だという認識が、音楽好きなら共通して誰でも知っているという状況は、アマデウス以降だと思います。
モーツァルト神話みたいなものが、一般人に浸透したと思います。
繰り返しテレビで放映されたので、膨大な数の人間が見ているはずです。
現在、その辺の若奥さんにクラシックを代表する作曲家を挙げてもらったら、最初にモーツァルトが出て来ると思います。
今一般の人がそう考えているからといって、ずっと昔からそうだったというわけではありません。

mmmさん,モーツァルトに関する件については,全く首肯できません。バッハ,ベートーベン,ブラームスという日本の音楽教育者が好きそうなドイツ音楽の流れからすれば,モーツァルトは外れた位置にあるかもしれません。しかし,「アマデウス」以降にモーツァルトの評価が上がったなんてことは,クラシック音楽を聞いている人間ならば,一人として感じたことはないはずです。

私はクラシック原理主義者ではないですが,モーツァルトの評価が上がったのが映画「アマデウス」以降だとされることに関しては,私は決して納得しませんし,それはモーツァルトという作曲家や,彼の音楽を愛好してきた人間を愚弄しているとさえ思えます。こうした点については個人的な感覚の相違という点もあろうかと思いますが,私はクラシックばかりを聞いているわけでもないにしても,あまりにも違和感が強過ぎるご発言です。この点については,どのようにおっしゃられても,繰り返し反論します。

「後追いの錯覚」とおっしゃるならば,私の父は間違いなくmmmさんより年長であるということをどう解釈されますか?私は自分の父がマニアックな人だったとは決して思っていません。彼は昔からモーツァルトの音楽を純粋に愛し,映画「第三の男」に出てきたウィーンの「カフェ・モーツァルト」に行きたがっていました。それは特異な人間の感覚ですか?あるいはウィーンにそういう店があるのは,オーストリア人だからこその「カフェ・モーツァルト」ということですか?

それでも「後追いの錯覚」とおっしゃるのであれば,mmmさんとはモーツァルトに関する認識については,残念ながら私とは一生クロスするところはないというところだと思います。作曲家として,誰が上とか下とかではなく,私は「後追いの錯覚」ということには決して首肯できないのです。

いや別に愚弄してはいませんよ。
モーツァルトが偉大であることを否定しているわけでもありませんし、昔から熱烈なファンがいることも当然ですし、アマデウス以前は評価されていなかったとも言っていません。
モーツァルトの音楽的価値はアマデウスによって再評価されたと僕が言ったみたいに誤解されたのではないでしょうか。
1950年代から次第に、さほどクラシック音楽に興味のない一般人にまで偉大な人だということが浸透していったと言っているだけのこと。
一般人に神話が浸透するのにアマデウスが影響したというのにも納得できませんか?
今のようにベートーベンと並ぶかそれ以上の大作曲家だと一般的に思われていたというのは、今の常識から昔の状況を推察するあなたの錯覚だと言っているのです。
あなたでさえ、日本の音楽教育におけるドイツ音楽の本流から外れていると感じているわけでしょう?
本流から外れているというのはよくて、
昔はベートーベンほどには高い評価を受けていなかったというと、モーツァルトや音楽を愛する人を愚弄することになるとは奇妙です。
お父様がモーツァルトのファンかどうかは何の関係もないと思います。
僕自身はモーツァルトの170枚組CDを買ったくらいですから、よく聴いてます。

しつこいですが、追加です。
以前のコメントを読み直してみて、どうして反発されるのかよくわかりません。
モーツァルトが再評価されたのは1950年代からで、LPの普及と共に、一般に広まったが、
60年代にはまだベートーベンほどの評価と人気は得てなかった。
アマデウスで、一般の人にまで神話が広がった。
没後200年でさらに盛り上がった。
今では、ベートーベンを上回るほどの人気がある。
しかし、昔からベートーベン並みかそれ以上の一般的な評価があったというのは錯覚である。
論旨としてはそれだけのことなのです。
映画が評価を上げるのに役立ったというのが納得できないのでしょうか

mmm さん、申し訳ないですが、mmmさんとはモーツァルトに関しては共感できないと申し上げたはずです。ご自身の言い分をおっしゃりたいなら、どうぞご自身でブログを立ち上げてお書き下さい。私への批判もどうぞご自由になさって下さい。

これ以上本件にコメントを頂いても、mmmさんのコメントは私の意思として非公開にします。

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